「ミニクラブ」に参加

息子は小学校の頃から家族で休暇を過ごした「ClubMed」での体験から
13歳で始めた海外留学を
ワクワクした気持ちでスタートしたにちがいありません。

息子はClubMedで過ごす間、「キッズクラブ」という、
小学校の中~高学年くらいの子供のための
プログラムに参加することで、
外国人のスタッフや海外の友達と交流を経験していきました。
13歳からの留学スタートには
この経験が大きくプラスになりました。

一方、息子より2歳年下の娘は、
ClubMedに家族で行き始めたころは
まだ小学校の入学前だったので、
もっと幼い3歳からの子どもが参加できる
「ミニクラブ」に参加していました。

娘のミニクラブ初日は娘よりも親の私たちの方が緊張しました。
広い芝生の一角にある屋外の幼稚園のようになっていて、
これもまたワクワクするような場所でしたが、
親にとってはその環境よりも娘の反応が大切でした。
新しいお友達とコミュニケーションをとれたのか、とか、
笑顔を見せているのか、とか。

小さいころから娘は、どこに行っても目立つ兄の存在の陰で、
何事もうまくやり過ごしているようでした。

兄弟でいたずらをしても怒られるのはいつも兄。
私も主人も娘を叱ったりした経験がほどんどありません。

同じ小学校で、学校行事ではよく活躍していた兄に比べ、
娘はマイペースに何事も無理なく楽しんでいました。
二人が通った学校では、娘は上級生から「E君の妹!」と呼ばれていました。

活躍の裏には目には見えない親の期待がありましたが、
その反面、娘には「そんなに無理しなくてもいいのよ。
最後までゴールできればいいのだから!」
と。
マラソン大会の時にも
プレッシャーなんか感じずに、
楽しい経験をしてくれればそれで充分、
という親の気持ちが強かったと思います。

娘は生まれた時にも未熟児で1週間保育器に入りました。
幸いにもすくすく育ってくれましたが、
小児ぜんそくやアトピーもあり、
病院通いは頻繁でした。

そのため母としてはどこか、娘は小さくてか弱い存在。
手のかかる息子の世話に追われながらも、
娘のことは常に背中におんぶして決して危険にさらしてはならない・・
自分の身体の一部でずっと私が守っていくべきもの、
今になって振り返るとそんな感覚があったように思います。

娘がミニクラブで新しい友達を作ったり、
外国人スタッフと触れ合ったり、
アクティビティーに挑戦したり、
夜のショーに出演したり・・。

学校で毎日体験することの何倍もの新しい体験を
学校の長い休み中に経験していました。

学校以外での多くを体験するのに
ClubMedはちょうど良かったように思います。

将来なりたい職業

歳を重ね、クラブメッドでの経験を積みながら、
娘は自分も将来クラブメッドで子供たちのお世話をするスタッフに
なりたいと言うようになりました。
学校の「将来なりたい職業」には、「ClubMedのGO」と書いていました。

クラブメッドのスタッフ(GO)は自分の持ち場があり、
子供たちのお世話をするキッズクラブやミニクラブの他に、
レセプションやアクティビティーのエクソサイズ、
空中ブランコや海のスポーツのカヤックやカヌーetc.を担当しています。
でも最大の特徴は、毎晩繰り広げられる
歌やダンス、コメディーなどの夜のショー。
これらの出し物に出演するのはすべてGOということでした。

そんな理由から、このGO達は、
子供にとっては自分のお世話をしてくれる上に、
ショーのステージではカッコよく歌って踊れる・・、
まさにヒーローのような存在なのでした。

GOになるには英語ができないといけない、
幼いながら、娘の将来の目標は英語の習得!
こんな背景があったのでした。

その後歳を重ね、娘は高校を卒業するタイミングで
Hawaiiの短大に進学、アメリカ本土の大学に編入していくことで、
それまでの自分の殻を破り、どんどん強くなっていきました。

私の中の優等生だった娘は
「好きなことを精いっぱい頑張る!」
「嫌いなことはしない!」
「やりたいことをやりたいように突き進む!」
そんなふうに変貌をとげていったのでした。