娘はなぜ18歳でハワイに!?

娘は小学4年生の時に
地元小学校のミニバスチームに入り、
友達にも恵まれ、
週3回のバスケの練習時間を楽しんでいました。

母親の私に似て、早い時期に身長が伸びた為
6年生の時には160㎝に成長し、
思いもよらぬことが起きました。

中学に進学する直前のこと、
地元の私立中学の
強豪バスケ部の監督さんから
入部のお誘いを受けたのでした。

その後娘は、高校3年生までのおよそ5年間、
チームメイトと共に
バスケに明け暮れた青春時代を過ごしたのでした。

強豪校ともなると、チームの活動はとてもハードなものです。
朝練と学校後の練習のため、スクールバスにも時間が合わず、
母親の私も片道25Kmの道のり、送りと迎えを毎日繰り返しました。

娘の2歳上の息子は、
娘が小学5年生の時にイギリス留学を始めたので、
娘はほぼ一人っ子のように過ごしました。

息子は留学中の夏休みに
現地の友達を連れて帰国することがありましたが、
その友達も、バスケのために髪を短く切り、
見た目は少年のような妹を見て
さぞ驚いたことでしょう。
何しろ息子は留学先ではかなりカッコつけて過ごしていたので、
その妹となれば、
どんなチャーミングな日本人の女の子に会えるのか、
と、彼らは期待したはずですから・・。

そんな中、私は娘に聞いたことがありました。
「お兄ちゃんみたいに留学したい?」と。

娘は「したい、したい、いつかは!」
と言っていましたが、
そのいつかはもっとずっと先の事で、、
すぐにやって来るなんて、
この頃は想像などしていませんでした。

娘がバスケ時代を過ごした東海大学付属翔洋高校からは、
ほとんどの生徒が東海大学への進学を決めていました。
もちろん、娘も例外ではありませんでした。

ところが、進学の希望学科を決めるときに
進学先にはハワイ東海インターナショナルカレッジ(以後HITC)
という選択肢がある、ということを知ったのです。

HITCは卒業後に日本やアメリカの4年生大学に編入が可能で、
翔洋高校からの推薦を受けて進学できるシステムでした。

バスケは5年間で充分やりつくした娘にとって、
突然開かれた海外留学への扉でした。

HITCの良い点は、
複雑な留学手続きと生活面での心配が少なかった、
ということでした。

もちろんビザの取得や書面の提出など、
本人がすべきことはありましたが、
わからないことは担当の先生が指導してくれました。

当時のHITCの校舎のビルは、
上層階が寮になっていて、安全面の心配が無いうえ、
そもそも学生のほとんどが東海大付属高校からの進学生、
授業中は日本語禁止でも、寮の3人~4人部屋の中では
ストレスが少なく過ごせる、という点も、
親には安心感がありました。

まだずっと先だと思っていた娘の海外留学。
(しかも行先は母も心躍るHawaiiとは・・。
アラモアナショッピングセンターにも歩いて行けるなんて、
え? うそ、マジ??)

こんなふうに娘の17歳からのハワイ留学が始まりました。